■ ティム・ラビットとハリたち ■

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『リトル・グレイ・ラビット』シリーズの作者アリソン(アリスン)・アトリー UTTLEY, Alison, 1884-1976 は,優等生のリトル・グレイ・ラビットとは正反対のやんちゃな小ウサギ,ティム・ラビットを主人公にした本を2冊書いている("The Adventures of No Ordinary Rabbit", "Adventures of Tim Rabbit")。日本では,小ブタのサム・ピッグを主人公とする同じ作者の作品とセットにして,「チムとサムの本」のシリーズ名で,童心社から刊行されている。
これらは原典の完訳ではなく,2冊のそれぞれから抜粋された数編の物語から新しく2冊の日本語版ティム・ラビット本を編む形で作られている(『チム・ラビットのぼうけん』1967.03.,『チム・ラビットのおともだち』1967.07.;いずれも石井桃子 訳,中川宗弥 絵)。
また,この小ウサギは,アトリーの "Lavender Shoes -Eight Tales of Enchantment" (Faber & Faber Ltd.1970) という短篇集にも登場しているが,こちらからは最近になって,4話を選んで『ラベンダーのくつ −アリスン・アトリーおはなし集−』(松野正子 訳,大島英太郎 絵,福音館書店,1998.04.)が編まれている。

◆『チム・ラビットのぼうけん』
・「チム・ラビットのあまがさ」で,大きなきのこを雨がさ代わりにして大得意で森を歩くティムが出会う動物の中に,雨宿り中の父子のハリネズミがいる。
・「なぞなぞかけた」で,ティムが学校で聞いてきたなぞなぞの答えを尋ねる動物の中に,娘にかご一杯の山梨を届ける途中の年寄りハリネズミがいる。
耳が遠いが鼻はよく,パイプをふかすこの老ハリネズミは,道を渡るハリネズミのなぞなぞを1つと,ハリネズミが答えになるなぞなぞ歌を1つ,ティムに聞かせるが,この歌の中には,答えであるはずのハリネズミという言葉がすでに含まれている。英語版がどうなっているか確かめたいところだ。
・「チム・ラビットとあかちゃんぐつ」では,ティムが本来の持ち主に返しに行く途中でなくしてしまった赤ちゃん靴が,動物たちの手から手へ遍歴することになるが,その動物たちの中に,ハリネズミの夫婦がいる。
カエルが宿屋の看板にしていた赤ちゃん靴を,ハリネズミは自分のハリに刺して持ち帰り,ハリネズミ夫人はそれを買い物かごに使う。みんながこのかごをほめるのですっかり得意になった奥さんは,かごを見せびらかすために玄関の前の木の枝にかけ,メンドリに奪われてしまう。

◆『チム・ラビットのおともだち』
・「チム・ラビットみつばちをかう」では,ティムの編んだミツバチの巣が,小さなハリネズミに持っていかれそうになる。ハリネズミはこれを,誰かが落としていった帽子と勘違いしてかぶってみたのだが,体が小さいので,帽子に脚が4本生えたような案配になってしまったのだ。
・「チム・ラビットときつね」では,キツネに狙われたティムを,ハリネズミがほかの小動物たちと一緒に助ける。と言っても,ハリネズミのやったことといえば,キツネの後ろから転がっていって,キツネの足をチクリと刺すことだけなのだが(ハリネズミが自ら転がってハリで敵を攻撃するイメージとして要注意)。
・「チム・ラビットきゃんぷにでかける」では,何でも知っているハリネズミが,テントをはじめて見たティムにテントのことを教え,「お前はあまり利口じゃないから、気をつけた方がいいぞ」と忠告する。
ティムがキャンプの跡で仲間たちとパンくずや残り物をあさった後で出会ったハリネズミは,「どいつか知らんが,みんなパンくずを食ってしまいおった」と文句を言っているが,これが冒頭のハリネズミと同一人物だとすれば,テントへ近づくなという彼の警告は,思惑があって出されたものということになる。
・「チム・ラビットとかやねずみ」では,ティムがカヤネズミ一家のところへ遊びに行く途中で出会った友達たちの中に,「たくさんのはりねずみ」が数えられている。
また,赤ん坊たちの入ったゆりかごごをなくしてしまったカヤネズミの奥さんは,ハリエニシダの薮の中の家で食事中のハリネズミに子どもたちを見なかったか尋ねるが,ハリネズミはもぐもぐと「はりとぴん」の歌を歌うばかりなので,カヤネズミは怒って飛び出していく。
だが,後になってゆりかごがフクロウにさらわれていたことがわかると,ハリネズミは同様にそっけなかい対応でカヤネズミをがっかりさせたカエルやカタツムリとともに,カヤネズミ奥さんとティム・ラビットに協力し,赤ん坊たちを救い出す。ここでのハリネズミの仕事は,牛の乳しぼりだ。
・「チム・ラビットとコウモリ」では,ティムを人間のワナから助け出そうとする仲間の中にハリネズミの姿があり,ワナを仕掛けた人間が来ると,そのすねをハリで突いて驚かす。

◆『ラベンダーのくつ』
・「チム・ラビットとサム・ヘアのぼうけん」では,丘の上に冒険に出かけたティム・ラビットとサム・ヘアが,空き家の中で,小さな太っちょのハリネズミ,ジョーと出会う。丸くなって冬眠中のジョーのハリに,いたずらなサムはボロきれを結びつけるが,ジョーが近くに転がってくると,あわてて「あっちへいけよ,ねぼすけジョー,ぼくに,はりがささるじゃないか!」と叫ぶ。
「おいらは,はりさしなんだよう」と応酬するジョーの台詞は,例によってビアトリクス・ポターの作品を連想させるものだ。大島英太郎の描くジョーは,丸まったまま片目だけを開けていかにも眠そうだが,彼の挿し絵はウサギもキツネも同じ細い目で,ジョーでなくても皆眠そうなのだ。ティム・ラビット・シリーズに登場するハリネズミで名前を持っているのは,私の知る限りではジョーだけである。
この後,キツネをやり過ごして無事に家に帰り着いたティムとサムは,その日の出来事をお母さんウサギに歌って聞かせるが,その中ではもちろん,ハリネズミにも一言ふれている。

同じ作者による「グレイ・ラビット」シリーズとは違い,「ティム・ラビット」シリーズの主人公はあくまでティム本人であり,ティムの母親を除けば,レギュラーの登場人物はほかにいない。ハリネズミもその例にもれず,各エピソードに登場するハリネズミは,それぞれ別の人物と考えた方がよさそうだ。童心社版の,中川宗弥による一見そっけないようなクロッキー風の挿し絵には,独特の味わいがある。
ティムのやんちゃぶりは微笑ましいが,ビアトリクス・ポターやアトリー自身の他の作品と共通するモチーフが頻繁に見られ,独創性という点ではあまり評価できない。
ハリネズミに関していえば,果物泥棒,牛乳泥棒,ハリでものを運ぶといった昔ながらのイメージが生かされている点が面白い。
2002.01.11. 最終推敲:2002.05.07.
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■ 舟崎作品のハリネズミたち ■
− 麦わら帽子とハリネズミの神さま −

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今、思いがけず早くに会えたその相手を目の前にしたウサギは、メモさしのようにやたらに針の突き出たぶっそうな背中や、今にも空に向かって飛び立ちそうな魔法使いの靴のようにしゃくれてとがった鼻などは見ずに、ムギワラボウシの下の、くったくのない人のよさそうなほほえみをたたえた、よく動く小さな茶色い瞳を見つめていました。
『野ウサギのラララ』


 ラララはウサギで、ハハハはハリネズミ。
 2人は、『野ウサギのラララ』舟崎克彦・舟崎靖子,理論社,1999.02.)の登場人物だ。
 この童話は、「自分さがし」という当今よく見かけるモチーフを、舟崎(×2)流ののんびりテイストで描いたものだ。
 後でふれるが,本作の初出は1970年代と古く,実は舟崎夫妻(当時)最初期の作品の一つである。

 主人公のラララは、物語の舞台となる島の海岸に流れ着いて気を取り戻したとき、記憶を失っている。島ではじめに出会ったアナグマは、新聞社の社主にして唯一の記者。このアナグマが、ウサギにラララという名前をつける。
 そのままアナグマ新聞の記者となったラララは、お気楽で享楽的なハリネズミのハハハ、風を目の敵にしている短気な発明家のネズミ、何かにつけ「悲しいなあ」と言っては泣くサメのサメザメ、もの静かで昔話の好きな薬草作りのモグラ、悟りすましたアヤトリ研究家のツノガエル、常に波と戦っている狷介なシオマネキといった島の動物たちと出会い、さまざまな事件を体験しながら、“自分さがし”を続けていく。

 ハリネズミのハハハは食いしんぼうで、よくサトウキビをかじりながら歩いている。「踊る事が好き」とのことだが,これは単なる設定に留まり,作中ではたぶん一度も,踊る姿を披露していない。
 ハハハのトレードマークは、いつもかぶっている大きな麦わら帽子で、この帽子には赤いリボンがついている。ある事件以来、このリボンは別の色に変わってしまうのだが、この事件のおかげで、新来者であるウサギのラララは、島の仲間たちの前にお目見えすることになるのだ。

★ Too Trivial! ★
 このエピソードの中で、ハハハのイメージする「神様」が登場する。その神様は、「金色の衣をひるがえし、赤いリボンをつけたすばらしく大きなムギワラボウシをかぶった、かがやくばかりのハリネズミ」(p.111) なのである。

 そんなハハハは、主人公のラララの仲良しになる。2人は、その名前からして、2人で1組のパートナーであることが,あらかじめ決められていたかのようですらある(アナグマやネズミには、名前さえつけられていないのだ)。
 ウサギが「主人公」である以上,ハリネズミは「主人公の親友」キャラクターだが,男女関係というものが事実上存在しない舟崎ワールドのことだから(たぶん作者たちは,ありきたりな恋愛ドラマが嫌いなのだろう),赤いリボン付きの帽子がトレードマークのこのハリネズミは,一般的には「主人公の恋人」が担う役割も,同時に担っているのだと考えてよいかもしれない。
 ウサギのラララは、何か考えなければいけないことにぶつかると、(言いそうなことはおよそわかっているにもかかわらず)ハリネズミのハハハの意見が聞きたくなる。物語の結末で、ウサギがついに記憶を取り戻したときも、そばで一緒に海を見ているのは、こののんきな友人なのだ。

 探しものが見つからなくて、不安な気持ちでいるとき、その不安を和らげてくれるのは、いつも明るい目で世の中を眺めている友人(またはパートナー)の存在だろう。
 そして、そんな友人/パートナーならば、ただ隣りに座っているだけで、さがしものを発見することによる変化がもたらすであろう新たな不安さえ、きっと苦もなく乗り越えさせてくれるに違いない。

★ Too Trivial! ★
 この作品が,「『夫婦共作で童話』というコンセプトが,当時もてはやされたニューファミリーの一スタイルとして、ちょっとウケた」(『これでいいのか、子どもの本!!』)というデビュー作『トンカチと花将軍』に続いて手がけられた第二作であったことを考えると,ラララとハハハのイーヴンな共生関係は,ともに若き詩人であった2人の作者の姿と,自然に重なって見える。
しかし,「男と女ということだけでも、価値体系が基本的にちがううえに、言葉の使い方っていうのもちがうわけですよ。それをひとつのものにするっていうのは、長期の夫婦げんかみたいなものだった」(同)という克彦氏は,3作目の『スカンクプイプイ』(1971) を最後に合作をやめ,『ぽっぺん先生の日曜日』に始まるあの〈ぽっぺんシリーズ〉を世に送り出すことになる。

 ところで、ハハハの「ハ」が「ハリネズミ」のハだとしたら、ラララの「ラ」は「ラビット」から来たものと、つい考えたくなるが、それはどうだろう。
この物語のタイトルは、『野ウサギのラララ』である。そして、「ウサギ」と“rabbit”はイコールではない。英語圏では、原則として(とわざわざ言うのは、例外もあるからだが)、カイウサギなどは rabbit だが、ノウサギは hare と呼ばれる(カイウサギはノウサギの家畜化されたものではなく、その先祖はアナウサギである)。ネズミに rat と mouse があるのにも似ている。 hare の読み方は hair(毛)と同じ。『不思議の国のアリス』では、お茶会の3月ウサギが March hare で、時計を持った白ウサギは white rabbit だ。同じ白ウサギでも、因幡の白ウサギは−−オランダ人が持ち込むまで、日本にカイウサギはいなかったのだから−−hare の方だろう。
 もっとも、ここでの「野ウサギ」が、ノウサギという種ではなく、ノイヌやノネコと同様に,単に「野に棲むウサギ」という程度の意味合いで使われているとしたら話は別で、その場合、「ラビットのラララ」であってかまわないわけである。ピーター“ラビット”一家にしても、野生のカイウサギだった。

 舟崎元夫妻には,『はりねずみのパチパチおばさん』(ポプラ社,1984.05.)という作品もあるが,これについては,「ハリハリ本のリスト1」をご参照いただきたい。
 『ティギーおばさんのおはなし』の翌年に刊行されているのだが,例によって人を食った作品で,一種の便乗本なんだか,“健全な”オーソドックス絵本を茶化したつもりなのか,それとも,本書にはたまたまどこかの有名絵本シリーズの1冊と同じ「ハリネズミ」の,同じ「おばさん」が登場するけれども,それはあくまで偶然で,あちらさんとは何の関係もありませんよ,と,あくまでほっかむりして知らん顔をしているつもりなのか,判断に迷う。

 また、2人が偕成社から出した「もりはおもしろランド」という全15冊の絵本シリーズ(靖子 作,克彦 絵,ただし,第13巻以降の絵は奈良坂智子)は、「はりねずみのゆうびんやさん」を主人公とする『もりのゆうびんきょく』(1977.11.) からスタートしている。
 1冊1匹の主人公を取り上げたこのシリーズでは、ある本の主人公が別の本では脇役として登場するという趣向で、この郵便屋のハリネズミ氏も、シリーズの他のエピソードにたびたび登場する。郵便屋という設定は、“徘徊者”としてのハリネズミのイメージにもよく合っている。
 第4巻『もりのはいしゃさん』では,歯医者のネズミが,ハリネズミの下顎用の入れ歯をなくして探し回る。
 第13巻『もりのぎんこう』では,ハリネズミがリンゴの鉢をイノシシの銀行に預け,秋にカゴ一杯のリンゴの実を受け取る。

★ Too Trivial! ★
 第13〜15巻の奈良坂智子氏の絵は,ハリネズミとヤマアラシが全く描き分けられていない点で,一見に値する。ハリネズミには,ご丁寧にも,太いシッポまでついている。

 しかし,『〜ラララ』という作品の発表は,実は『〜パチパチおばさん』や『〜ゆうびんきょく』より,さらに早いのだ。福音館『母の友』に2年にわたって連載され,実は夫妻の合作第2作であった本作が,なぜかお蔵入りになり,二十余年を隔てて,別の版元からようやく再び世に出ることになった経緯については,克彦氏の2冊目の評論集『これでいいのか、子どもの本!!』(風濤社,2001.02.)所収のインタヴューの中でふれられている。
 何にせよ,舟崎靖子のハリネズミは,皆,好人物のお人好しであるという点で,共通した性質をもっている。

 一方,舟崎克彦 作・絵の「ポッケはべんりやくん」シリーズ(理論社,1〜10巻)では,7巻『ポッケの本日おやすみ』(1993.04.)や10巻『ポッケのおひっこし』(1994.11.) に,ハリネズミが登場している。
 面白いことに,こちらのハリネズミは,靖子作話の「もりはおもしろランド」の“ゆうびんやさん”とはうってかわって,乱暴でひがみっぽい人物となっている。日本では,こちらの方がステレオタイプどおりと言えるだろう。
 このハリ君は,服を着ていないせいで,腹側の針のない部分が狭すぎたり,大きな尻尾(!)があったりと,造形的な甘さが露呈してしまっている。「動物や鳥類については小学生の頃から『おたく』でしたから,自家薬篭中のものになっていた」と称する舟崎克彦の作品であるだけに,このことはいっそう惜しまれる。
1999.07.07. 最終推敲:2005.03.10.
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■ フクロハリネズミたちの運命 ■

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フクロハリネズミという動物は、実在しない。この動物は、とあるゲームのザコ敵モンスターである。さらに言えば、そのゲーム自体が、ある児童文学の中でしかプレイすることのできない、架空のゲームなのだ。
『選ばなかった冒険 −光の石の伝説−』岡田 敦,偕成社,1997.04.)は、子ども向けの創作ファンタジーのシリーズ、〈偕成社ワンダーランド〉の17冊目である。サブタイトルの「光の石の伝説」は、作中のゲームのタイトルでもある。

主人公の学は、父親が借りてきたテレビゲーム「光の石の伝説」を夜中までプレイしたせいで寝不足になり、体調が悪いのではと勘違いした先生の指示で、保健室へ行くことになる。つきそって来た保健係の女の子、あかりに、学がゲームのことを説明しているうちに、学校の階段がいつの間にかダンジョンの一部となっている。驚く2人の前に、テレビゲームのモンスターだったはずの「イガー」までが現れ、逃げようとしてその攻撃をまともに受けたあかりは、目の焦点を失って倒れる……

この敵モンスター、イガーの正体が、実はフクロハリネズミなのだ。丸くなったときはイガーと呼ばれるが、本当は、猫くらいの大きさの、後ろ脚で歩く生き物、フクロハリネズミなのだという。
本文の「ハリネズミかヤマアラシのような生きもの」という形容は、挿し絵のフクロハリネズミの姿によく当てはまっている。とげはヤマアラシのように長いが、鼻先のとがった顔立ちはハリネズミの方に近いし、額のところから前髪のようにとげが始まっているのもハリネズミっぽい。ただし、ものをつかむことのできる力強い前脚は、やはりヤマアラシのものだろう。そもそも、ボールのように体を丸くするのはハリネズミの習性だが、針を逆立てて敵に体当たりするのは、ヤマアラシの方である。おなかには、名前のとおり、物入れになる袋がある。
ちなみに、本書には挿し絵を描いた人の名前の記載がない。おそらく、本職は小学校の図工の先生だという作者の岡田さんが、自分で挿し絵を描いているのだろう。

倒れるあかりを抱きとめた学の抗議に、イガーは子どものような声で答える。イガーには殺傷能力はなく、ただとげで相手を刺して、一晩眠らせるだけなのだ。「それなのに、ぼくたちはじつにかんたんに殺されるときてるんだ。」と、学と顔見知りになったそのイガー、いや、フクロハリネズミはふてくされる。名前を問われると、少し口ごもり、「ハ……ハリー。ぼくはフクロハリネズミのハリーさ。」と名乗るが、このとき学が、(あかりに「イガー」の話をしたときと同じように)「安直なネーミングだな。」と考えるところがおかしい(ハリエットハリ太郎はりこ、そしてハリー……う〜ん、やっぱり安直だ。「ハハハ」というネーミングは、実は秀逸なのかもしれない)。

その後、学とあかりは元の学校に戻ることができるが、夜眠るたびに、あのダンジョンに送り込まれるようになる。その夢の中で、2人は転校生の勇太や、生粋のゲームキャラらしい戦士のバトルたちと出会う。このゲームの「主人公」は、どうやら学たちではなく、勇太らしい(「勇者」の勇太……これはこれで、身もフタもないネーミングではある)。
勇太によれば、この世界から解放されるには、「闇の魔王」の持つ「光の石」を手に入れるしかないという。足手まといにならないためにも、戦場でのサバイバル技術を身につけてくれと言う勇太。敵を殺すことを何とも思わないらしい勇太に抵抗をおぼえ、殺し合うための技術なんて、と反発を抑えられないあかり。昼間の世界の学校で、いじめられっ子の八田君の巻き添えでクラスメートに殴られてから、格闘術の練習に熱中する学……

この物語は、設定されたゲームの陳腐さ(それはたぶん、半ばは意識的なものだろう)から連想されるほどつまらないものではない。テレビゲーム隆盛の現代に対する穏やかな異議申し立てととることもできるが、「戦うべきか、戦わざるべきか」というのは、大人になってからも問われることがある問題である。
あかりたち登場人物の造形にはやや古くささを感じないでもないが、それを割り引いても、最後まで興味を失わずに読むことができた。

ザコ敵イガーの正体であるフクロハリネズミの位置づけは、最初に思われるよりは、はるかに重い。後段、ハリー以外のフクロハリネズミたちも登場し、やはりミリー、クリー、ネリーなどと仮の名を名乗るが、やがて、彼らが本当の名前を名乗りたがらなかった理由が明かされる(勘のいい人なら、もう大体見当がついたでしょう?)。
1999.07.07. 最終推敲:1999.08.24.
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■ 北の森のハリネズミ ■
− たとえ百年かんがえたって −

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ロシアのナチュラリスト・ライターの系譜は,「ずるいキツネの退治法」の項でその作品を引いたビアンキの直弟子,ニコライ・スラトコフ(SLADKOV, Nikolai Ivanovich, 1920-1996)によって受け継がれている。
『北の森の十二か月 −スラトコフの自然誌−』(スラトコフ 文,ニキータ・チャルーシン 絵,(上)福井研介/(下)松谷さやか 訳,福音館書店,1997.10.;原著 英題“Seeking Cohabitation in the Wood”1987)では,上巻「六月」の扉絵に単体でハリネズミが描かれているほか,「十月」に「ハリネズミとクサリヘビ」と題するエピソードがある。
クサリヘビを襲うハリネズミを目撃し,クサリヘビを救うべきか,手出しを控えるべきかと迷う作者。迷う間に,ハリネズミはクサリヘビをひきずって茂みに姿を消す。

こういうことはしょっちゅうおこる。ハリネズミは、生きるためにクサリヘビを食べるのだから、これはあたりまえのことだ。しかし、人間には、ハリネズミの世界は理解できない。たとえ百年ものあいだかんがえたって、わからないだろう。まるでくらい森のなかにまよいこんだように……。
『北の森の十二か月』


『北の森の十二か月』と版元・訳者を共有する姉妹版,絵本『森からのてがみ』(スラトコフ 文,あべ弘士 絵,松谷さやか 訳,福音館書店,(1)2000.05.,(2)2001.07.;原著 英題“Messages from the Forest”1987)中の作品にも,ハリネズミは登場する。
2巻所収の「ハリネズミの失敗」がそれで,ハリネズミがカタツムリやカエルに競走を持ちかけては負かして食べてしまい,調子に乗ってワシミミズクに挑んだ結果,逆に食べられそうになるお話。
英題を“A Hedgehog Runs”というが,グリム・メルヒェンにある「ウサギとハリネズミ」の競走を下敷きとしていることは,ほぼ間違いないと思われる。言うまでもなく,本書ではより写実的なハリネズミが描かれている。
擬人的な動物童話の体裁を借りながら,動物たちの習性をたくみに織り込んでいることは,本シリーズの大きな特徴で,この話でも,カタツムリ・カエル>ハリネズミ>ワシミミズクという食物連鎖が,『北の森の十二か月』のときよりいっそう印象的に提示されている。

★ Too Trivial! ★
挿し絵のあべ弘士氏はかつては動物園に勤務しておられたという変わり種の絵本作家さん。福音館からの作品が多いが,二宮由紀子原作の『ハリネズミのプルプル』シリーズもその1つだ。

食物連鎖といえば,「動物のふしぎな世界」シリーズの「マグソッタカ」というエッセイ(筆者不詳)が思い出されるが,本作は同時に,宮澤賢治の「ほらくま学校を卒業した三人」中,他の小動物を相撲で負かして食べてしまうナメクジのエピソードを髣髴させる。

他所でふれたように,漫画「ハリハリハリ太郎」では,フクロウが生き物図鑑で,ハリネズミの食物に鳥が含まれることを知って怯えるが,事実はこのように逆である。

2001.10.09. 最終推敲:2002.05.07.
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■ 洗濯屋のティギーおばさん ■

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旧版新装版
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さて,ハリネズミの登場する絵本を語るなら,やはりどうしても,“この人”にご登場願わないわけにはいかないだろう。
ティギウィンクルさん Mrs.Tiggy-winkle −−そう,言わずと知れた,「ピーターラビットの絵本」シリーズの1冊,『ティギーおばさんのおはなし』の登場人物である。
カナで書くとことさらに長ったらしい感じになるからだろう,石井桃子による邦訳では「ティギーおばさん」とはしょってしまっているのだが,その邦訳版でも,本人はちゃんと最初に
「わたしの名は、ティギー・ウィンクルと申します。」
と自己紹介している。Tiggy-winkle という、ひとつながりの姓なのである。
残念ながら,ファースト・ネームの方は伝わっていない。

★ Too Trivial! ★
彼女の日本名を定めた石井桃子さんは,「くまのプーさん」や「うさこちゃん」の名付け親でもある。日本の翻訳絵本界は,彼女のネーミング・センスによる影響を少なからず受けているのだ。
原名である Tiggy-winkle は,縮めれば tingle になるという言葉遊びだろうか。tingle という語は,ちくちく、ひりひり、ぞくぞくといった感じを表す。
また,作品中,ティギーおばさんは,(いかにもハリネズミらしく)鼻を“くすんくんくん”(sniffle, snuffle, snuffle) と動かしたり,目を“ぱちぱち”(twinkle, twinkle) させたりする。もしかしたら、この twinkle, twinkle にも、ちょっとだけひっかけてあるのかもしれない。
さらに,Tigy の音は,このキャラクターのモデルと伝えられる実在の洗濯婦,Kitty MacDonald の名 Kitty をも容易に連想させるものでもある……と見るのは,少々うがちすぎだろうか。

ところで,本文でもふれるが,『ティギーおばさんのおはなし』は,ちょうど『リスのナトキンのおはなし』で生意気小僧のナトキンが盛んに繰り出していた「謎かけ歌」と同じようなスタイルの,一種の「なぞなぞ話」の構成をとっている。
Mrs. Tiggy-winkle の名は,もともと,作者が自分のハリネズミを呼んでいた名前なのだが,この名前からは,ナトキンの歌に出てくる「ロット・ト・ト」(さくらんぼ)や「ちぃくちく」(イラクサ),「ぶんぶん」(マルハナバチ),「きんきらりん」(日光),「アーサー・オウボーア」(風),そして有名な「ハンプティ・ダンプティ」(ずんぐりむっくり → 卵)と同じようなにおいがする。

ちなみに,winkle とは,食用の巻き貝であるタマビキガイのこと。細長い先のとがった靴のことを winkle-picker といったりもするようだが,ポターはハリネズミの“とがり鼻”のことを特に強調していないから,べつにそこまでひっかけたネーミングではないだろう。

農家の女の子、ルーシー Lucie は、なくしてしまった3枚のハンカチとエプロンを探して山に登る。そこで彼女が出会った「うでききの せんたくや an excellent clear-starcher 」が、ティギーおばさんである(こう名乗ったときの、彼女の誇らしげな顔! これ以上に晴れがましいハリネズミの笑顔を見たことがあるという人がいるだろうか)。ルーシーはおばさんから、きれいに洗濯済みの3枚のハンカチとエプロンを受け取る。
おばさんが少女の質問に答えるときに口にする“if you please'm”という挿入句は、いかにも優しげなティギーおばさんの様子をよく表していて、印象に残る。もしかすると,このキャラクターを作者に思いつかせたという Kitty MacDonald その人の口癖だったのだろうか(ジュディ・テイラー,吉田新一 訳『ビアトリクス・ポター −描き、語り、田園をいつくしんだ人−』福音館書店,2001.01. p.78,131;原著 Judy Taylor, BEATRIX POTTER -Artist, Storyteller and Countrywoman-, Frederick Warne, the new edition in 1996)。

★ Too Trivial! ★
「ピーターラビットの絵本」シリーズでは、見返しに、シリーズ中に登場する何匹かの動物たちが自分の本を携えている飾り絵が描かれている(何と巧妙な広告だろう!)。ティギーおばさんもこの仲間に入っているから、シリーズ中,『ティギーおばさんのおはなし』(福音館書店)とは別の絵本しか持っていなくても、おばさんの姿を見たことのある人は多いことだろう。
『ティギーおばさん』はシリーズの第16番という番号をふられているが、商品版の刊行は1905年であり,これは1902年の『ピーターラビットのおはなし』,1903年の『グロースターの仕たて屋』と『りすのナトキンのおはなし』,1904年の『ベンジャミンバニーのおはなし』と『2ひきのわるいねずみのおはなし』に続いて,刊行順では6冊目に当たる。『パイがふたつあったおはなし』も同じ時期に出ている。

洗い終わった洗濯物を、ティギーおばさんは動物たちに届けて回る。ピーターラビットのあの青い上着も、ティギーおばさんの手によって洗われていたのだ!
その後おばさんは,本当の小さなハリネズミの姿に戻って立ち去ってしまうので,小さなルーシーは、おばさんにハンカチとエプロンの洗濯代を払わずに済む。しかし,ピーターラビット・シリーズの別巻『ピーターラビットのてがみの本 2』(福音館書店)に収録されている、ピーターのお母さんとティギーおばさんのやりとりを見ると、おばさんは動物たちからはちゃんとお代をとっているらしい。
ボランティアで始められた野生動物病院が、ティギウィンクル夫人を聖女に昇格した上でその名前を拝借したのも、きっと−−絵本の作者のナショナル・トラストへの多大な貢献も念頭に置かれているに違いないが,それはそれとして−−この洗濯屋さんの,拾ったエプロンまで洗ってアイロンをかけて返してくれるような“ボランティア精神”に敬意を表してのことでもあったのだろう。

★ Too Trivial! ★
『ピーターラビットのてがみの本 2』では、ティギーおばさんには、洗濯物をごちゃごちゃにして間違った相手に配達してしまうという、“愛すべき”欠点(などと言うと、『イギリス・シンドローム』の林信吾氏や,あまたのアンチ・ブリット・サイトの皆様にお叱りを受けそうだが)があるということも明らかにされている。なお,同じ本に収録された別の手紙では、おばさんはカエルのジェレミー・フィッシャーどんとの再婚話を,きっぱりと断ってもいる(これは当然の判断といえる。何しろハリネズミにとっては,カエルなんて,ただのご馳走でしかないのだから)。
これ以外でティギーおばさんが登場するのは、『「ジンジャーとピクルズや」のおはなし』で、猟犬のピクルズが掛け売りでお客に石鹸を売る場面である。挿し絵を見ると,このお客さんが実はティギーおばさん−−もちろん洗濯石鹸に違いない。その後、掛け売り主義がわざわいして、ピクルズと猫のジンジャーが店を閉めて逃げ出すことになってからの顛末でも、買い物客たちの中には、ほとんど必ず、ティギーおばさんらしいハリネズミの姿が見られる。
なお、『ピーターラビットの世界』(吉田新一ほか,求龍堂)p.14-15 では、ティギーおばさんの手紙の再録とともに、おばさんの住まいがあるというキャットベルズ山の写真を見ることができる。

作者のビアトリクス・ポター POTTER, Beatrix, 1866-1943 は、物語の末尾で、「それに、あのしんせつな ティギーおばさんは わたしの ご親友でもあるんです」と打ち明ける。Mrs.Tiggy-winkle は、ポターがどこへ行くにも連れ歩いていたハリネズミの名前なのである(愛称は Mrs.Tig)。
この作品のために、ポターはこの実在のティグ夫人を何枚もスケッチしており、その一部は『ビアトリクス・ポター』で見ることができる (p.132-3)。

★ Too Trivial! ★
Frederick Warne 社から出ている英語版にも複数種の版があるが、本来のポター絵本よりやや大きいピンクの表紙の版では、“The Tale of Mrs. Tiggy-winkle”の全ての見開きの四隅に、(本当なら最後のページまで行かないと見られないはずの)四つ足姿のティギーおばさんの絵を飾っている。これは話のオチを最初から見せてしまっているわけで,ちょっとサービス過剰という気もしないではない。

評伝『ビアトリクス・ポター』の著者であり,ポター研究の第一人者でもあるジュディ・テイラーは、同書のまえがき冒頭で、テイラー自身の幼いころからの特別のお気に入りが『ティギーおばさん』であったことを明かしている。
テイラーが十代のころ,英国は戦後の紙不足のころだったが,彼女は入手できない英語版の代わりに,フランス語版の『ティギーおばさん』−−"Poupette-a-L'Epingle"『とげとげ人形』というタイトルになっていた−−を求めて愛読したという。『ビアトリクス・ポター』第1章扉前のページにも,ティギーおばさんの姿が掲げられている。著者の特権を行使し,ささやかな依怙贔屓を試みたのだろうか。
同書には、ロイヤルバレエ団による「ビアトリクス・ポターのおはなし」(邦題「ピーターラビットとなかまたち」)の公演 (1992) で、絵本そのままの姿(ただし人間サイズ)で舞台に現れたティギーおばさんの写真も掲げられている(ダンサーは イアン・ウェッブ WEBB, Iain)。邦訳版 (p.310) では写真が小さいのでわかりづらいが,原著 (p.217) で見ると,服の背面から,ポッキーくらいの大きさに拡大された針がツンツン突き出ているのが,ちょっとコワい。
なお,岩野礼子「ロンドン徒然草」Vol.13「シアターに行こう」の記事から察するに,このバレエは,ロイヤルバレエ団の冬(お正月?)の恒例演目になっているらしい。

また、同書では、ポターが旅先のウェールズからノーマン・ウォーンに当てて書き送った手紙の文面が、ティグ夫人のスケッチ入りの手紙そのもののの写真とともに紹介されている (p.125)。
少し長くなるが、ポターの手紙を引用してみよう。

 私のハリネズミのティギウィンクルさんは、大した旅人です。彼女がどんなにたくさんの旅を経験しなかったか、私にはとてもわからないくらい(いぬ註:イギリス人好みの反語表現だろうか?)。
……彼女は、列車での旅行がお気に入りです。旅行中となると、むやみにおなかがすくみたいです。
……次の旅は、かなり短いものになるでしょう。たぶん、土曜日には海辺に出ることになると思います。カニとか貝、エビなんかを見つけることはできるかしら? ティギウィンクルさんは、どうしてもエビを食べようとしないんです。本当におバカさんだと思います。虫だったら大喜びで食べるくせに。食べてみれば,エビの方がおいしいに決まってるのにね。ティギウィンクルさんがロンドンに戻ったら、あなた,ティグさんをお茶に呼んでさしあげないといけないんじゃないかしら。彼女ったら、人形用のティーカップで、猛烈にミルクを召し上がるんだから!

(上掲書 p.92 より拙訳。邦訳版では p.125-6)

また、ロンドンで書かれた別の手紙は、こんな具合である。

 絵のモデルを務めてくれているティギーさんったら、おかしいんです。私のひざの上で寝させてもらえるうちは、ご機嫌です。でも、後ろ脚で30分も立たされていると、はじめのうちは哀れっぽくあくびをしてみせるんだけど、そのうちに、かみついてくるんです! それでもやっぱり、私の大切な人です。ちょうど、とっても太った、ちょっとおバカな小犬みたいな感じね。
(上掲書 p.96 より拙訳。邦訳版では p.132)

★ Too Trivial! ★
これらの手紙の受取人であるノーマン・ウォーンは、現在まで一貫してピーターラビット・シリーズの版元であるフレデリック・ウォーン社の経営者の一人であり、ビアトリクスのよき相談相手であった。後にノーマンがビアトリクスに手紙でプロポーズし、承諾の返事を得ることで,2人はフィアンセの関係となるが、間もなくノーマンは白血病で急逝し、2人が結ばれることはなかった。
『ティギーおばさん』が描かれたのは,ちょうど2人が婚約を果たし,しかし「商人との結婚」に反対だったビアトリクスの両親の希望によって,ごく限られた肉親以外には婚約のことが明かされなかった時期のことである。担当編集者でもあったノーマンは,『ティギーおばさん』の刊行と前後して世を去っている。
後にビアトリクスは他の男性との間に幸福な家庭を持つが,ノーマン亡き後のビアトリクスとウォーン社の関係は,必ずしも常に良好だったわけではではないようだ。

そう言えば、ティギー夫人は、チャウチャウ犬にも似ていないことはない(もっとはっきり似ているのは,東洋の奇獣,タヌキだが)。おバカなティギー夫人への,おそらくはそのおバカさゆえのポターの愛情は、『キミは動物 ケダモノ と暮らせるか?』の飴屋法水さんの動物論を連想させる(ちなみに、飴屋さんも、ヨーロッパハリネズミのお気に入りの場所が人間の膝の上であることにふれている)。
なお,ポターは結局,服を着たティギーおばさんの姿を正確に描くために,コットンを詰めたダミー人形に頼っている(『ビアトリクス・ポター』p.132 のほか,エリザベス・バカン『素顔のビアトリクス・ポター』(吉田新一 訳,絵本の家,2001.06.)でもふれられている)。

絵本の中のティギーおばさんは、キャットベルズ山の岩壁にしつらえたドアの向こうの部屋に住んでいることになっている。だが、よく知られるように、山(hill)の中にあるのは、本来、(竜宮城や桃源郷の地下版とも言うべき)ケルト伝説の妖精たちの,華麗な王国なのである。スコットランド出身の乳母によって養育されたポターは、妖精物語にも、幼いころから親しんでいたらしい(ティギーおばさんのモデルとなった女性が,ケルト系の姓−− McDonald −−を持っていたことを想起されたい)。
なお、ポター研究家の吉田新一氏は、ティギーおばさんの部屋の入り口は、実在のキャットベルズ山にある,黒鉛鉱山の坑道の入り口がモデルであろうとしている(『ピーターラビットの世界』,日本エディタースクール出版部,p.226)。

『ティギーおばさんのおはなし』の形式上の主人公は、小さな部屋の中でおばさんと出会った女の子、ルーシーだ。
原著の扉には、“ニューランズの 本当のちっちゃなルーシーのために for THE REAL LITTLE LUCIE OF NEWLANDS”という献辞があるから、舌っ足らずなルーシーは、アリス・リデルと同様(クリストファー=ロビン少年と同様,と言ってもよい),実在の子どもだったのだ。ニューランズの小村リトルタウンの教区牧師の娘、Lucie Carr のために書かれたというこのお話は、始まり方と終わり方が、『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』に、少しずつ似ているようにも思われる。
もっとも、『不思議の国のアリス』でのハリネズミは、“ひと person”の扱いを受けてひときわ愛情深く描写されているティギーおばさんとは、ずいぶん違った形で登場していたけれど(まあ、そのおかげで「首をはねよ!」と宣告されずに済んでいるともいえるわけだが)。

少女アリスよりずっとちっちゃな女の子のルーシーは、handkerchief を handkin(翻訳では「ハンキチ」)なんて言っている(ほら,やっぱりクリストファー=ロビンみたいだ)。
一度 handkersniff と言い損なっているのは、きっと、おばさんの小さな鼻のくすんくんくん (sniffle, snuffle, snuffle) という動きに気を取られていたのに違いない。こういう他愛ない言葉遊びまでは、翻訳ではさすがに出しようがないのだろう,邦訳ではここも他と同じ「ハンキチ」となっている。

★ Too Trivial! ★
「kittens の mittens」なんて駄洒落も、本来は訳しようがないはずなのだが、翻訳を手がける英文学者たちは、それを何とかこじつけようと頑張り続けて習い性となっているために、彼らの中には駄洒落好きが珍しくないらしい。有名どころでは、シェークスピアがご専門のO先生、ジョイスのY先生など。

ところで,2002年は『ピーターラビットのおはなし』の出版からちょうど100年後に当たる。
この夏,東京は新宿高島屋では「ピーターラビット展」が催された。いぬかわはたまたまその初日に会場を訪れたが,主に30代以上とおぼしき女性でたいへんに賑わっており,満を持して迎えた主催者側も,まさかこれほどまでとは思っていなかった様子であった。
目玉は,展示そのものよりも,限定生産のヌイグルミや会場限定販売の雑貨類といったグッズ類のショップのようだったが,ぬいぐるみをはじめ,多くの商品はピーターラビット自身のものであり,携帯電話ストラップや文具などの雑貨も,広告に姿を見せている5人のキャラクター−−ピーターラビット・ベンジャミンバニー・こねこのトム・あひるのジマイマ・りすのナトキン−−に限られていたのは,少々残念だった。
この限定キャラクターの選択は,ほぼ間違いなく,主に容姿の“かわいらしさ”だけを規準としてなされたものと思われる。おはなしの内容を勘案するならば,かなり辛辣に描写されているおバカ女のジマイマや,小憎らしい悪たれのナトキン坊やが選ばれるはずはないからだ。
他店でも売られているアニメーションのDVDやビデオ(ポニーキャニオン),ブックキューブ(絵本の家)を除くと,ティグ夫人をかたどった商品は,絵はがき(アメリカ製)とクッションカバー(ベルギー製),主要キャラの勢ぞろいするベッドカバーとおぼしき織布(スタッフは敷物だと言うのだが)だけしか見当たらなかった(もちろん,どれも貴重な発見ではあったが)。
やはり,我が国でのティグ夫人の認知度は,相当低いようだ。

# ピーターラビット・ファンの方には、岩野礼子さんの小文「『ピーターラビット』事件考」(『英国解体新書』所収)を一読しておくことを、ぜひお勧めしたい。
これを読めば、ほんの少しだけ、ピーターラビット観が変わること請け合いなので。
1999.07.10. 最終推敲:2002.11.18.
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